第102号(2018年6月) 株式市場研究会特集号(下)
国際通貨改革と戦後米国株式市場
—ベラージオ会議(Bellagio Group Conferences)における議論を中心に—
野下保利(国士館大学政経学部教授)
- 〔要 旨〕
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リーマン・ショック以来,各国政策当局者は国際金融監督・規制体制の構築に向けて様々な努力を行ってきた。それにもかかわらず,米国におけるトランプ政権の登場によって,これまで積み上げられてきた国際金融監督・規制に向けた努力の後退が懸念されている。こうした動揺が生じるのも,第二次大戦後の国際金融体制の安定性を確保するための政策理念が必ずしも確立していないからである。事実,これまでの積み上げられてきた国際金融規制は,1960年代後半からはじまる国際金融危機にアドホックに対応してきた監督や規制の集合であり,一貫した政策理念にもとづくものではない。政策理念の混乱は,第二次大戦後の国際金融システム運動を規定する基本要因が特定化されていないことに起因している。
戦後国際通貨体制は,50年代末に西欧諸国が交換性を回復するとともに,金価格高騰と外国為替市場の混乱,そして,米国際収支赤字の継続とインフレの国際的伝搬に悩まされることになる。国際通貨制度の混乱を解決するための方策をめぐって行われたのが国際通貨改革論争にほかならない。論争は,ケインズの理念を共有するトリフィンやケネディー政権下のネオ・ケインジアン,そして主要国政策担当者が政策面では多数派を形成し,改革の必要性を否定する金融仲介説や,変動相場制移行論などの少数派見解と対立した。最終的に,ケインズが提案した精算同盟案に近似したトリフィンの改革案に沿ってSDR創設が決定され論争は事実上終結をみた。
近年,国際通貨改革論争を現代的観点から再評価するのに役だつ資料集『通貨改革とベラージオ・グループ』(Carol and Salerno[2014])が出版された。ベラージオ・グループは,国際通貨制度改革を推進するために学者,実務家,各国政策担当者の議論を促進し合意形成に貢献するためにマハルプ,トリフィン,フェルナーを共同代表として設立された。本資料集は,創設者3人の国際通貨改革に関連する未発表論文,書簡,さらにベラージオ・グループ会議の概要などを集めたものである。この資料集が興味深いのは,ベラージオ・グループの創設者3人を中心に,当時の経済学者の国際通貨改革に対する理論的立場や政策理念の違いを詳細に検討できる点にある。本稿では,特に,ベラージオ・グループの創設者であるトリフィン,フェルナー,マハルプに焦点を当て,国際通貨改革論争における理論認識や政策理念を検討する。
第二次大戦中の戦時金融体制の下で逼塞していた米国株式市場は,戦後,オープンエンド型投資信託に主導される形で拡大する。株式市場の展開は,新たなそして多様な投資家を参加させ,株価形成を大手投資家によって主導された戦前とは異質なものに転換した。戦後株式市場の展開は,米国経済だけでなく海外にも影響を拡大し外国為替の需給構造を変化させることになる。戦後米国株式市場に導かれた証券投資の内外の拡大こそ,国際収支調節政策を難しくさせるだけでなく,為替相場の変動を激しくさせ,ブレトン・ウッズ体制を崩壊に導いた主要な原因であった。しかし,トリフィン,フェルナー,マハルプに代表される論争参加者の多くは,米国株式市場に主導された戦後証券市場の運動が内外経済に及ぼした作用を必ずしも十分に認識し理論化できなかった。戦後株式市場の運動が,多様な投資家層の投資期待(価値評価)からなる「場」の近接作用を介してマクロ経済や為替市場に影響することを理論化する枠組みを欠いていたからである。国際通貨改革論争の再検討は,ブレトン・ウッズ体制の動揺が戦後米国株式市場の「場」の近接作用として分析される必要性を示唆している。