第14号(1998年7月) シンガポールの証券市場
後期高橋財政と「国債漸減」政策
―「危機」における大蔵省の政策決定過程―
井手英策(東京大学大学院)
- 〔要 旨〕
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本稿の課題は,大蔵省の実践知的行動様式という視点から,後期高橋財政における引締め路線への転換を明らかにすることにある。その際,賀屋・津島・青木文書といった大蔵省資料を用い,これまでに明らかにされてこなかった政策決定過程を解明する。
高橋財政論には,国債発行を市場の制約から開放した新規国債の日銀引受発行と,昭和11年度予算編成における軍事費の膨張という二つの論点が存在している。前者では,軍事費の膨張を制度的に担保した側面 と,機動的な財政出動を可能にし経済の回復テンポを早めた側面とが対立し,後者では,軍部の予算要求を受入れ戦時財政への移行をスムーズにしたという評価と,軍事費の膨張への抵抗・財政の生命線の死守という評価とが対立する。
大蔵省の政策体系は政治的要因への対応形態として把握できる。昭和9年下期に顕在化する財政の「危機」=国債消化の難渋に対して,金融界の政治的圧力と自らの財政健全化の意志を背景に,金融政策の維持と財政政策の転換を決定,社会・経済的秩序の統合を図る一方,昭和11年度予算編成では,会計間調整・協力予算による財源の捻出,継続費の増大による一時的予算圧縮という実践知的な政策対応によって軍部の予算膨張圧力に対抗,「国債漸減」という命題を達成する。しかし,抑制された予算総額における軍事費の変態的膨張という形で,実践知的対応は限界も同時に露呈してしまう。