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第19号(1999年5月) 成長経済下の金融・財政システム

証券会社の経営破綻と間接金融・長期雇用システム
―1965年証券恐慌と山一證券―

橋本寿朗(東京大学教授)

〔要 旨〕

 本稿の目的は,まず,1960年代初頭から証券不況が展開し,山一證券の業績が急速に悪化し,大蔵省,「主力3行」による救済行動が開始されるまでの自主的な合理化策の展開過程について,山一證券の企業内の諸活動に即して経緯を紹介することである。ついで,証券不況の展開に対応しながら試みられた山一證券の経営行動の解明を通 して次の諸点も明らかにできたと思われる。
 第一に,証券業は一方で金融資産蓄積水準の低位という条件に制約されて,安全性の高さを謳い文句とした商品の開発,販売を優先させざるをえなかったことである。第二に金融債の引受・販売,とくに活発に利用された割引債販売-運用預りの関係も金融資産蓄積の低水準に規定され,事実上は銀行の預金業務に近かった。しかも運用預りが直接的に間接金融システムに依存していた点も重要であろう。また,第三にアンダーライティング業務に期待された,直接金融システムにおける仲介,審査機能は発揮させられなかったし,それを高めることもできなかった。そして,アンダーライティング業務は株式を仕入れる役割を担い,バイカイによって商品価格を引き上げ,価格情報で顧客のキャピタル・ゲイン取得という期待を膨らます推奨販売に基礎を与えた。
 そして,第四に,第2位の山一證券が「業界第一位」戦略を採り,その際に大量 採用を行ったこと,そして業績が悪化してからも雇用の削減を回避することに注力し続けたことは重要なことであった。間接金融システムと長期継続雇用という2つの条件からみれば,ブローカー・ディーラー業務は1つの蓋然性の高い選択であり,したがって大手4社に共通 であったとみることができる。
 しかし,山一證券は,第3位であった日興証券とともにブローカー・ディーラー業務を積極的に展開する誘因が大きかったとみられる。ブローカー・ディーラー業務が証券不況の過程で危機に直面 したとき,拡大のテンポの速かった2,3位企業において困難が深刻になったが,いち早く深刻な事態に直面 した日興証券は合理化策の採用で先行した。しかし,山一證券のトップは既に行った投資に徹底的に固執するとともに,メインバンクからの監視を回避する行動をとり,大蔵省の監視,行政指導もできるかぎり回避して,ブローカー・ディーラー業務の拡張ないし維持を図ろうとした。1963-64年になれば,それを支えたのは株価の回復という期待だけであったが,山一證券トップのその期待は株式市場によっていわば裏切られた。そして,山一證券は経営破綻への坂道を転げ落ちていったのである。

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