第19号(1999年5月) 成長経済下の金融・財政システム
日本版ビッグ・バンと証券市場
―日本版ビッグ・バンと金融システム―
西條信弘(東亜大学大学院教授・当研究所兼任研究員)
- 〔要 旨〕
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平成10年12月1日に「金融システム改革法」が施行され,いわゆる日本版ビッグ・バンもいよいよ本格的な実施段階に入った。もともとこのビッグ・バンとは,宇宙創世の際にあった大爆発といわれているが,それが1986年10月にイギリスで実施された証券取引所を中心とした証券制度改革が,従来の慣行を破る大改革であったことから,新しいシティの誕生(新宇宙の誕生)の意味合いに転用されたものである。わが国では長期にわたる金融・証券市場の低迷・不振を受けて,平成8年に当時の橋本首相が打ち出した,ロンドン・ニューヨークと並び立つ国際的金融・資本市場への復権構想をさして日本版ビッグ・バンと呼んでいる。
この日本版ビッグ・バンも,イギリスと同様,市場そのものの機能を如何に育成し,如何に強化するかが目的であり,活発な競争の実現が基本とされている。バブルの崩壊以降,停滞が続く景気の回復策でもないし,あるいはわが国で伝統的な証券業・銀行業等の保護育成策でもない。長引く不況のなかで国際的地位 を失いつつあるわが国金融・資本市場の活性化を図り,金融システムの再構築を意図したものである。
しかし,わが国の場合,戦時中,戦後とつづく間接金融重視の金融システムのなかで,いわば金融機関(銀行)主導型ともいうべき伝統が形成されてきた。こうしたわが国の特色が,今後のビッグ・バンの運営のなかで,どう扱われていくかは大きな課題の一つであろう。
今回の改革で銀行等の金融機関は,本体での投信の窓販など業務範囲が拡大されることになったが,やはり基本は金融業としての自己規律と健全経営の確保である。
戦後のGHQによる金融・証券改革の時は,証券市場には大改革が加えられる反面 ,それと対をなすべき銀行改革は,現在と同様,銀行体力の脆弱化もあって中途半端に終わり,結局は在来型の銀行制度に復帰する一方,銀行に対する保護行政は強化され,護送船団行政とまで呼ばれる特異な姿をとることになった。他方,証券市場は,間接金融のメカニズムのなかに押し込められ,投資者保護と預金者保護の理念が同一化していると指摘されることもしばしばであった。
証券取引システムについても大改革が加えられることになる。手数料の全面 自由化,ディーラー業務に関する制約の撤廃,証券業の免許制から登録制への復帰,上場証券の取引の取引所集中義務の撤廃,店頭市場と取引所市場の同格化など,それは戦後の証券改革に匹敵,むしろそれを凌駕する性格のものといってよい。
なかでも市場集中義務の撤廃は,新しい時代の要請に対応した証券取引システム作りへの模索が始まったことを示す最初で,かつ,象徴的な出来事である。もともとこれは競争の促進,制度の競争(市場間競争)への対応から講じられたものだが,取引所の定義や組織,あるいは取引所市場と店頭市場との関連,それぞれにおける取引仕法のあり方,取引所と証券業協会の関連など,これからのわが国証券取引システムのあり方全般 に渡る問題を含んでいることに留意されねばならない。