第23号(2000年1月)
六大企業集団の社長会について(上)
菊地浩之(日本総合研究所)
- 〔要 旨〕
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著者は,かつて「資料:社長会およびその周辺会合」(『証券経済研究』第11号,1998年)で社長会について資料をまとめた。本稿はその「文章編」である。
旧財閥系企業集団(三菱・住友・三井系)においては,終戦直後,グループ内で主導権を握った人物の地位・役割が,社長会の性格・特徴に大きく影響を与えていた。
三菱系では,終戦時の財閥本社常務,財閥解体後の本社代表清算人だった石黒俊夫が,「三菱金曜会」を結成した。かれの視点は,解体される本社側から傘下企業を見,自立しようとする傘下企業をいかにして束ねるかというところから発していた。そのため,「三菱金曜会」はトップが明確に規定され,グループ間の調整について裁量 権限を持っていた。
住友系では,終戦直後,有力直系企業(住友化学工業)の社長だった土井正治が,「白水会」を結成した。かれの視点は傘下企業の立場から,解体される財閥を眺め,いかに連携を保ちながら,自立していくべきかというところから発していた。そのため,「白水会」は,輪番制の幹事,代理不可,事務局・議事録なし,全員一致という平等主義で運営された。
三井系で,終戦直後,三井グループ内部で最も影響力のあった三井銀行頭取・佐藤喜一郎は,銀行の公共性と持ち前の合理的性格からグループの結集には否定的な立場を採り続けた。そのため,社長会の結成は,佐藤が現役社長を退くのを待たねばならなかった。
旧財閥系企業集団の社長会では,しばし,メンバー企業の首脳更迭,メンバー間調整が行われた。が,それらが株式所有に基づいたものとは思えない。むしろ,財閥期の属人的な関係に根ざした,文化的・社会的な基盤によるものだと思われる。株式持ち合いが未成熟であった終戦直後ほど,ドラスティックな人事介入が行われた。例えば,1950年代の三菱日本重工業・住友機械工業である。
時代を経る毎に,株式持ち合いは進展して行くが,強権発動の度合いが減っていく。1970年代の三菱油化,1990年代の住友商事では,社長会が過半数の株式を所有していながら,果 断な処置を行うことが出来なかった。また,三井系では,社長会が株主安定化で有効に作用していない事例が見られた。