第30号(2001年3月) 金融システム改革下の公社債市場の課題
真正手形主義についての一考察(2)
―連邦準備法からグラス・スティーガル法まで―
西川純子(獨協大学教授)
- 〔要 旨〕
-
真正手形主義(real bills doctrine)は一般にはあまり耳慣れない言葉だが,グラス・スティーガル法を考察する際にはこの言葉を抜かすことができない。連邦準備法の生みの親でありグラス銀行法案の起草者でもあるカーター・グラス(Carter Glass)が真正手形主義の信奉者とみなされているからである。グラスは金融の専門家ではなかったが,彼の傍らには必ずH.P.ウィリス(H.Parker Willis)がいた。ウィリスはシカゴ大学でローレンス・ラフリン(Laurence Laughlin)の薫陶をうけた経済学者である。2人を結びつけたのは連邦準備法の起草という大仕事であった。20年後に連邦準備法は変革の時期を迎えるが,この時にも2人は手をたずさえてグラス・スティーガル法の成立に尽力した。彼らが一貫して主張したのは健全銀行主義であり,それを実現するためには通 貨は経済活動の証である手形をもとに発行されなければならず,銀行の貸付も手形を担保とするものでなければならなかった。このような考え方が真正手形主義と称されるようになったのは,ロイド・ミンツ(Lloyd Mints)が批判の意味をこめてグラスとウィリスを真正手形主義者と呼んだためである。本稿で真正手形主義をとりあげるのは,しかしながら,グラスとウィリスの物語を書くためではない。19世紀の遺物のような真正手形主義が2度までも金融改革の表舞台に登場したことの理由を,アメリカに独自な金融制度の展開のうちに探ってみたいからである。
前稿の執筆時には存廃をめぐって議論が進行中であったグラス・スティーガル法の商業銀行業務と投資銀行業務の分離規定は,1999年末に廃止となった。いまやグラス・スティーガル法の思想史的考察は,成立の背景だけではなく廃止にいたる経緯も織り込まざるを得なくなったことになる。20世紀アメリカの金融史を俯瞰するに等しいこの作業は,金融市場と資本市場における自由と規制の抗争の歴史を浮き彫りにするであろう。改めてグラス・スティーガル法の歴史的研究が必要とされる所以である。