出版物・研究成果等
証券経済研究 第27号(2000年9月)
ドイツの証券市場―諸地域取引所の歴史特性―
山口博教(北星学園大学教授)
〔要 旨〕
本稿は,ドイツの証券市場小史の序論となることを目指したものである。ドイツにおける証券市場は,歴史的にみると商品取引,為替取引と連動して成立し,その中から独自の取引所として分化,派生する中で展開してきた。それらは,アントウェルペンやアムステルダム取引所の伝統を引き継ぎ,諸地域ごとに組織されて展開した。また,中心的役割を果 たす取引所が出現してはいるものの,それは時代とともに変遷をしてきている。大別 すると,(1)ナポレオン戦争以前までの時代,(2)譜奥戦争及びドイツ帝国(ライヒ)成立に至るまでの時代,(3)ライヒとワイマール共和国を経て,第三(ヒットラー)帝国の敗北にいたる,プロイセン中心の時代,(4)西ドイツ時代,(5)東西ドイツの統合以降の時代に分かれる。
第一期の時代,特にフッガー家時代にはアウグスブルク取引所が商品取引所として南ドイツにおいて重要であった。また,ケルン取引所でも,アムステルダムからの移住者が取引技術を伝えている。第二と第四期目にはフランクフルトの取引所が国際的公債市場Fondsb嗷se(日本証券経済研究所編『新版現代証券辞典』1981年,320ページ。ただし,本稿では国際債券市場とした。)として重要な役割を果 たした。第三期には,ベルリン証券取引所が,ドイツの工業化と株式会社の創業において中心となった。第五期の1990年以降は,ドイツ取引所株式会社の創設とEU並びに国際取引所間統合により,新たな段階に入りつつある。ただし,現代におけるこの時期の評価にはもう少し時間が必要であろう。
本稿では,ドイツ取引所史中特に中心的役割を担ったフランクフルトとベルリンの取引所を対比させ,それぞれの歴史特性を浮き彫りにすることを目指した。
中世以来の自由都市フランクフルトでは,商人組織が運営していた。投機よりも安定した投資が目指されたのは,西ドイツ時代に信用の安定性が第一義とされたことと共通 している。一方ベルリンでは運営は商人組織に委任されたが,王立の取引所としての出発であった。そして新興国プロイセンは急速な工業化において取引所投機を利用した。東西ドイツ統合以降,株式等の投機取引が復活しつつあることと合わせてみると非常に興味深く,今後の展開に注目していきたい。
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