出版物・研究成果等
証券経済研究 第28号(2000年11月)
アメリカにおける連邦預金保険制度の成立―1933年銀行法による金融制度改革の一側面―
高木仁(明治大学教授)
〔要 旨〕
預金保険法(1971年)は,目的として「預金者保護」と「信用秩序の維持」を挙げているが,わが国の預金保険制度は金融機関の経営破綻が多出して,対応のため創設されたのではなかった。そのため,今日のような姿で制度に出番があるとは誰も予想せず,長期間にわたり信用秩序の維持という目的へ,強い関心が払われないままだった。ところが,1990年代にバブル崩壊と金融システムの動揺があり,事情は一変し信用秩序の維持が重視されるようになった。
預金保険機構は1990年代中頃から,大規模銀行の破綻処理ケース複数を含めて本格的な活動をすることになったが,わが国の預金保険制度はアメリカのそれを模範として設けられたから,同国における制度成立の事情へわれわれは深い関心を寄せる。アメリカでは19世紀初めから,民間発券銀行の銀行券がマネー・サプライの重要な部分を占め,やがて預金銀行の貸付に基づく預金を通 じるマネー・サプライも,大きい意義を持つようになった。銀行は行数がかなり多いうえ多産多死を繰り返したから,銀行券と預金の安全性確保は経済循環と人々の生活にとって死活の問題であり,1829年ニューヨーク州は今日でいう預金保険へ似た制度を創始し,1930年までに制度はヴァーモントほか13州へ広まった。
合計14州で行われた,州レベル預金保険制度はいずれも長続きしなかったが,大不況の痛ましい犠牲と経験に導かれ,1933年銀行法によって連邦レベルの制度が1934年に発足し,現在まで大きい成功を収めてきた。1933年銀行法は,預金金利規制,銀行・証券分離,銀行持株会社規制などを含み,現在まで強い影響を残すオムニバス法だった。連邦預金保険制度も同法によって創設され,その目的は,「信用秩序の維持(安定的な銀行資金供給の継続)」と「預金者保護」だった。本稿は,州レベルの預金保険制度へ簡単に触れたあと,どのような経緯で連邦レベルの預金保険条項が制定されていったかを調べる。制度創設の理由は,大不況期に発生した多数の銀行破綻およびモラトリアムと,連邦議会上院のペコラ委員会が明らかにした金融界の逸脱行動という強い衝撃に対し,預金保険制度の創設を含む抜本的な改革が,必要と認識されたからだろう。預金保険制度成立へ至るまでに,関係者間で生じた見解の違いや妥協など,政治過程とみなすこともできる立法過程を,研究書の成果 やニューヨーク・タイムズの記事や連邦議会の議事録を利用して,ある程度まで再現するよう試みる。
金融制度史研究に続いて,19世紀前半から今日へ至るまでの間に現われた,預金保険制度の根幹に関わる問題点を整理する。この作業では,預金保険制度が成立する理由や目的,モラル・ハザードと銀行検査・監督の関係,保険機能と救済機能の違い,制度成立の政治過程などを取り上げる。次に,わが国が預金保険制度を導入した当時の事情を調べ,制度がアメリカの前例と違い強い契機がない状況の下で,産みの苦しみを経ず作られた事情から,この要旨の冒頭で述べたような状態があったことを説明し,最後に私見を記す。
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