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証券経済研究 第49号(2005年3月)

戦後公社債市場における電信電話債券の先駆的役割について

後藤猛(経済評論家)

〔要 旨〕
 昭和10年代の戦時経済下において多くの統制的規制をかけられ自由を失ってきた我が国の公社債市場は,戦後においても長らく政府・日銀の金利統制その他の規制を受け,市場における自由な価格形成を制約されてきた。市場の自由化の展開が顕著になってきたのは,近々10数年来のことである。
 このような戦後公社債市場において,1952年に設立された日本電信電話公社が資金調達のため発行した巨額の電信電話債券は,この統制的な市場に極めて大きなインパクトを与えるものであった。
 電信電話債券といってもいろいろ種類があったが,まずあげられるのは,1953年から発行の始まった加入者引受電信電話債券である。
 これは,電話を架設しようとする加入申込者に対して電話施設費の一部負担として強制購入させた債券で,その額はケースと時期により異なるが電話一件につき6万円ないし15万円であった。その結果,戦後の電話の急速な拡充とともにその発行額は爆発的に累積したのである。これは勿論期限10年の債券であるから,10年後の満期まで保有していれば償還になるが,電話加入者はこれを電話架設費用の一部とみなして損をしてもすぐに転売してしまうケースが多く,証券会社などがその売買を取り扱い,この電話債券市場は発行額の増大とともに債券市場の一大分野となったのである。
 この債券の売買は当然に電話加入者と証券会社の自由意志により発生拡大していったもので,他の公社債の売買は金利統制の下でいろいろ制約されていた間において,自由な価格形成を行い,金融情勢・金利情勢の変動を反映して上下し,利回りは債券市場実勢を示す指標的なものとなった。それは,公社債流通市場発展の先駆的役割を果たしたのである。
 さらに,1953年には戦後初めて政府保証付の電信電話債券を公募発行した。債券に政府保証をつけて発行することは,戦後はGHQの指令により禁止されていたが,占領終了後,特別法を制定してこれを可能とし,日本電信電話公社と当時の日本国有鉄道がその先駆けとなったのである。
 しかし実は,この場合の政府保証付き発行の狙いは,単純に債券の安全性を高めるというのでなく,当時の戦後の債券市場の困難な時代において,全国銀行の資金を動員しかき集めるためのアイディアであったといえる。というのは,1948年に制定された証券取引法により,銀行の公社債引受業務は禁止されていたが,政府保証付きの債券ならば銀行などの金融機関も引受業務を行うことが可能という例外規定が設けられていた。
 このため,この政府保証債の引受シンジケートは証券会社のみならず全国の銀行を大同団結させた大組織をつくることが出来たのである。これによって,政府保証債はいくら大量のものを低利回りで発行して売れ残っても,すべてがこの全国銀行シンジケートによる残額引受けとなり消化が保証されるという仕組みが作り出されたのである。
 そしてこの時の政府保証債の引受シンジケート組織は後の1966年からの国債の市中公募発行の時の引受シンジケート組成の先例となったのである。
 つぎに,1972年9月からは,公社は政府保証をつけない電信電話債券を公社債市場で公募発行するという方式をスタートさせた。これは特別電信電話債券と称され,証券会社のみによる引受シンジケートによって広く一般の投資家を対象に公募されたのである。
 このポイントは,発行条件を発行の都度引受幹事証券との折衝によって決めるもので,市場の動向にあわせ投資家に魅力ある条件を設定し発行市場にアピールしたものである。これは折からの公社債市場の活況期で証券会社の販売力も強まって来た時期を背景としていた。
 当時の公社債市場においては,一般の公社債の発行条件は毎月すべて画一的に決められるという統制的方式で,市場情勢にあわせて時々改定はされるものの,その都度起債打合会という統制機構や大蔵省・日銀などとの協議を要する大作業であった。
 これに対し,この特別電信電話債券の公募発行は“スポット発行”と称され,起債弾力化の先駆けとして注目された。
 これはやがて1987年にはプロポーザル方式発行に発展し,起債市場の新しい時代につながって行くのである。

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