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証券経済研究 第81号(2013年3月)
日本興業銀行100年の軌跡と証券業務(上)
小林和子(当研究所特別嘱託研究員)
〔要 旨〕
近代日本の歴史は明治初年以来平成25年で145年であり,「100年企業」といえば長寿の近代企業であろう。この間に多くの企業が創立され,破綻,消滅もした。ほぼ,あるいはちょうど100年の企業寿命を以て終った企業もいくつかある。北海道炭礦汽船(1889〜1995,会社更生法適用申請),山一証券(1897〜1997,自主廃業決定),日本興業銀行(1902〜2002,経営統合)はその代表例であろう。
創業以来100年を閲した企業の歴史には日本経済100年の歴史が色濃く映し出されている。属する産業の性格によりその表れ方には差異があるが,日本興業銀行の場合,産業育成型金融政策の手段とされた点が特徴的である。興銀は創立期には金融の長短分離政策,すなわち分業主義の最後の駒として長期金融を提供する「証券銀行」たることを目的とし,それが十分に機能しない時には危急時の救済融資を担い,戦時統制金融期には国策金融を担った。第二次世界大戦に敗北してみると,驚天動地というべきか米国中心の占領体制の下で特殊銀行たる興銀は「不要」ということになり,これに抗して「長期金融業務の必要性」を主張し続けた興銀は,ついに長期信用銀行法の制定を勝ち取り,旧行名のままで新制度に滑り込む。戦前(特殊銀行)戦後(民間銀行)を通じて興銀の最大の武器であり,優位性が化体されたのは法律により保証された債券発行権限が示す資金調達能力である。民間資金が不足し,民間金融機関の力が弱かった時代に,興銀が強大な力を発揮しえたのは理の当然であったが,資金蓄積が進み,民間大銀行の力が強大化し,反対に産業側の資金需要が弱まった時代には興銀の独自性は失われる。あまりにも強大になったが故にその事実を認められず,一民間金融機関としての経営を誤ったところに,興銀の歴史的限界があったと考える。
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